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私の出会ったこの音楽

瞳みのるさんが魅せられたこの音楽!「ザ・ビートルズの日本武道館公演は、夜行列車に乗って観に行きました」

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ゆうゆう編集部

音楽との出会いは、ときに人生を大きく変えることがあります。ザ・タイガースのメンバーとして大人気を博した、瞳みのるさんが、音楽に携わるきっかけとなった曲を紹介しましょう。ザ・ビートルズの「抱きしめたい」。その思い出を語っていただきます。

PROFILE
瞳みのるさん
ひとみ・みのる●1946年、京都府生まれ。ザ・タイガースのドラマーとして67年にデビュー。71年のグループ解散後は、高校復学を経て慶應義塾大学文学部中国文学科へ。修士課程へ進み、教員免許を取得する。その後、慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、2010年に退職。11年からはミュージシャンとしての活動を再開し、瞳みのる&二十二世紀バンドなどで精力的に活動中。
オフィシャルサイト

ロックンロールの新しい形に衝撃を受け、音楽に携わる人生のきっかけになった曲

18歳頃、京都の大丸というデパートにひとりで行ったときのこと。屋上にあるジュークボックスから流れてきたのが、ザ・ビートルズの「抱きしめたい」でした。初めて聴いた瞬間、「これは素晴らしい!」と。何度もリクエストされるその曲を、僕はずっと聴いていました。

「抱きしめたい」は、イギリスでは発売前に100万枚を超える予約注文があり、発売日にして全英シングルチャート1位を獲得した世界的なヒット曲です。僕にとっても衝撃的で、それに引っ張られるように現在も音楽に携わっている。これで一生が決まったと言ってもいいくらい、影響を受けた一曲です。

ザ・ビートルズはすごい勢いで世界中を席巻しましたよね。エレキギターが主体のバンドで、ソロもコーラスも歌い、メロディとハーモニーを奏でるユニットは、ロックンロールの新しい形でした。日本でもGS(グループ・サウンズ)をはじめ、いろんなバンドが登場しましたが、そういう流れはザ・ビートルズから始まったと言っても過言ではないと思います。

僕が岸部一徳らと結成した「サリーとプレイボーイズ」というバンドも、その流れに乗って沢田研二をボーカルに迎え、「ファニーズ」として活動するようになりました。1966年7月1日、ザ・ビートルズの日本武道館公演はメンバーと観に行ったんです。大阪から夜行列車に乗って、朝、東京駅に着き、東京温泉で身を清めてから武道館へ向かいましたね(笑)。その後、僕たちは「ザ・タイガース」としてデビュー。ザ・ビートルズの日本公演から約2年後には、同じ日本武道館のステージに立つまでになりました。

ザ・ビートルズがつくったロックンロールの精神は、今も若い人たちに受け継がれています。そして、僕ら世代が頑張ることで彼らに、「年齢を重ねてもロックンロールできる」という勇気を与えていければ。音楽へのエネルギーはまだまだ廃れちゃいませんよ。

ザ・ビートルズ 「抱きしめたい」

「抱きしめたい」(原題:I Want To Hold Your Hand)は、1963年11月29日にビートルズの5枚目シングルとして発売された。英国では予約だけで100万枚を記録。全英シングルチャート初登場で1位となり、以降5週連続で1位を獲得。この大ヒットを受け、米国、日本ではこの曲が第1弾シングルとして発売された。アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』『パスト・マスターズ』『ザ・ビートルズ1』(いずれもユニバーサル ミュージック)に収録されている。

【瞳みのるさんの最新情報】
3月12日に神戸モズライトカフェにて、ザ・ゴールデン・カップスのエディ藩さん&ミッキー吉野さんを迎え、「瞳みのる&His Friend’s」「長い髪の君だけに愛の国へ」を開催します。

※この記事は「ゆうゆう」2023年3月号(主婦の友社)の内容をWEB掲載のため再編集しています。

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