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【どうする家康】女城主 お田鶴(関水渚)の悲劇。100本の椿を手向けた築山殿(有村架純)は自身の悲劇を察していたか

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

大河ドラマ『どうする家康』第11回「信玄との密約」では、家康が「松平」から「徳川」へと改称し、ついに我々にもっとも馴染み深い「徳川家康」が誕生しました。

関水渚さんが演じるお田鶴の、壮絶な最期も胸を突きました。

そこで、今回は「徳川改称」にまつまるエピソードと、お田鶴の伝説を取り上げたいと思います。

徳川家康の誕生

永禄9年(1566)5月、三河一国を平定した家康は、その政治的立場の公認のため、徳川名字への改姓と、三河守の任官を朝廷に求めました。
武家の官位は、本来ならば室町幕府将軍を通じて申請されるものです。

ですが、前年の永禄8年(1565)5月に、「永禄の政変」と呼ばれる、十三代将軍・足利義輝が、三好一族の総帥である三好義継や、松永久秀の嫡男・松永久通らに殺害される事件があったため、このときはまだ将軍が不在でした。
そのため家康は、摂関家(摂政・関白に任じられる家柄)の近衛前久を通じて、願い出ています。

その結果、同年12月29日付で、徳川への改姓が認められ、従五位下三河守に叙位任官されました。

徳川家康の誕生です。

なお、徳川名字に改称したのは家康だけだったようです。家康の長男・信康は「松平」を称し、徳川を称していないといいます(黒田基樹『家康の正妻 築山殿』)。 

お田鶴はどんな人物だった?

次は、お田鶴をみていきましょう。

お田鶴は、今川家重臣で上之郷城(愛知県蒲郡市)の城主であった鵜殿長持の子だとされます(諸説あり)。

ドラマにも描かれたように、引馬城(静岡県浜松市)の城主である渡部豪太さんが演じた飯尾連龍の妻となりました。

お田鶴はどんな人物だったのでしょうか。

彼女に関しては不明なことが多く、確かなことはわかりませが、大正15年(1926)に出版された會田(会田)文彬著『蛇塚由来記 落城秘怨史』には、「天性すぐれて美しく怜悧なことも尋常ではなかった」と記されています。

お田鶴の夫・飯尾連龍

次はお田鶴の夫・飯尾連龍についてみていきましょう。

飯尾氏はもとは三河吉良氏の被官でしたが、今川義忠(野村萬斎さんが演じた今川義元の祖父)に従属しました。
そして、連龍の祖父・飯尾賢連が今川氏が攻略した引馬城の城主となり、連龍の父・乗連、そして連龍と引き継がれました。

今川に従属していた飯尾氏ですが、永禄6年(1563)12月、連龍は今川氏に反乱を起したとされます。
これに天野氏、松井氏らも加わり、遠江国(現在の静岡県西部)では「遠州忩劇(えんしゅうそうげき)」と呼ばれる今川氏への反乱が起きました。

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