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【どうする家康】家康は今川をどう攻めたか。苦悩する氏真(溝端淳平)と糸(志田未来)の舞台裏

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

大河ドラマ『どうする家康』第12回「氏真」では、溝端淳平さん演じる今川氏真の苦悩が癒され、志田未来さんが演じる妻・糸(早川殿)と寄り添うシーンが印象的でした。

そこで今回は、この夫妻を取り上げたいと思います。

母親は信玄の姉 今川氏真

今川氏真は、天文7年(1538)に生まれました。
天文11年(1542)生まれの家康より4歳年上で、松山ケンイチさんが演じる本多正信と同じ年です。

父親は野村萬斎さんが演じた今川義元、母親は武田信虎(阿部寛さん演じる武田信玄の父)の娘・定恵院殿(信玄の姉)です。
家督継承者として、大切に育てられたようです。

今川家の本拠地・駿府は、全国でも有数の文化都市であり、氏真も蹴鞠や和歌に長けていました。
そんな氏真が早川殿(ドラマでは糸)と結婚したのは、天文23年(1554)7月のことでした。

北条氏康の娘 早川殿

早川殿は、小田原北条家の三代目当主・北条氏康の四女です。
名前は不明ですが、法号は「蔵春院殿」といいます。
母親は、今川義元の姉・瑞渓院です。
天文16年(1547)の生まれと推定され、氏真より9歳年下となります。

二人が結婚したとき、早川殿は数え年で8歳、氏真は17歳だったと思われます。
早川殿は豪華な花嫁衣装をまとい、たくさんの花嫁道具とともに、今川家に嫁ぎました。

その際に、北条家からは煌めくような装束の家臣団が、北条と今川の領国の境目となる三島まで付き従い、前代未聞の見物人が押し寄せたといいます。

甲相駿三国同盟

氏真と早川殿の結婚は、甲斐の武田、相模の北条、駿河の今川の三大名家による甲相駿三国同盟の締結に伴うものでした。

氏真と早川殿の他にも、今川義元の息女・嶺寒院殿(嶺松院伝とも 氏康の妹)が武田信玄の嫡子・武田義信に、武田信玄の息女・黄梅院殿が北条氏康の次男・北条氏政(早川殿の兄)に、それぞれ嫁ぎ、三大名家は互いに婚姻で結ばれたのです

ですが、今川家と武田家の関係が悪化し、永禄11年(1568)12月6日、信玄は三国同盟を破棄して、駿河侵攻を開始しました。
これに対し、早川殿の実家である北条家は、今川支援を決めました。

氏真、敗走

氏真は12月12日、武田軍を薩埵峠(静岡市清水市)で、迎え撃とうとしました。
ですが、今川の重臣たちが武田方に寝返ったため、駿府に退却。
しかし、武田軍が駿府に乱入してきたため、氏真や早川殿らは翌日に駿府を出て、遠江国懸川城(掛川市)へ敗走しました。

このとき混乱が激しかったようで、早川殿に乗物を用意することもできませんでした。そのため早川殿は、懸川城まで歩いたといいます。
早川殿の父・北条氏康はこれに「此の恥辱、雪ぎ難く候」と激怒しています。

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