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【どうする家康】武田信玄(阿部寛)が見せつけた圧倒的な強さと存在感! 三方ヶ原合戦はどうなる⁉︎

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

【どうする家康】武田信玄(阿部寛)が見せつけた圧倒的な強さと存在感! 三方ヶ原合戦はどうなる⁉︎

『どうする家康』第17回より(C)NHK

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大河ドラマ『どうする家康』第17回「三方ヶ原合戦」では、阿部寛さん演じる武田信玄が圧倒的な強さと存在感を見せつけました。

そこで今回は、信玄を取り上げたいと思います。

信玄は、家康の父親よりも年上

武田信玄は、大永元年(1521)11月3日、要害城(山梨県甲府市上積翠寺町)で生まれました。
家康より21歳、岡田准一さんが演じる織田信長よりも13歳年長になります。

家康の父である飯田基祐さんが演じた松平広忠が大永6年(1526)生まれですので、家康にとって信玄は、父親よりも年上ということになります。

信玄の姉は、今川義元の正妻

信玄の父は武田信虎といいます。
信虎は甲府の城下町を築き、混乱状態にあった甲斐を統一した人物です。

母親は、信虎の正室の大井夫人(瑞雲院殿)です。
大井夫人は、西郡の武田大井信達の娘です。

二つ年上の同母姉に野村萬斎さんが演じた今川義元の正室となった定恵院殿(溝端淳平さんが演じる今川氏真の母)が、同母弟に武田信繁、武田信廉などがいます。
信玄の幼名は「勝千代」だったとされます(ここでは名は信玄で統一)。

信玄の二人の正室

信玄は天文2年(1533)、数え年で13歳のときに、戦国大名・扇谷上杉朝興の娘を、最初の正室に迎えました。
ですが、この最初の正室は、翌年に懐妊したまま、死去してしまいます。

二番目の正室は、京都の公家である三条公頼の娘・三条殿です。
三条公頼の家系は「転法輪三条家」と称される三条家の本家です。公家としての家格は、摂関家に次ぐ精華家でした。

結婚の時期は定かでありません。
ですが、天文7年(1538)に信玄と三条殿の第一子である武田義信が誕生しているので、遅くとも天文6年(1539)までに、婚姻が成立していたと考えられています(以上、黒田基樹『武田信玄の妻、三条殿』)。

父・信虎を追放

天文10年(1541)6月、信虎が密かに駿河の今川義元を訪問すると、信玄は国境を封鎖し、信虎を駿河に追放し、家督を継承します。信玄、21歳の時のことです。

翌天文11年(1542)、信玄は信濃への侵攻を開始し、信濃諏方郡の国衆・諏方頼重を自害させ、諏訪氏を滅ぼします。
そして、滅ぼした諏方頼重の娘を、別妻としています。

信玄と、一般に「諏訪御寮人」と称される諏方頼重の娘の間には、眞栄田郷敦さんが演じる武田勝頼が生まれています。

川中島合戦

天文22年(1553)4月、信玄を二度破ったことで知られる、信濃国埴科郡の葛尾城(長野県坂城町)の城主・村上義清が武田勢に攻められたため、同盟を結んでいた上杉謙信(当時は長尾景虎。ここでは上杉謙信で統一)を頼って、越後へ逃亡します。
こうして、上杉謙信が信濃の抗争に介入し、かの有名な「川中島の戦い」が始まりました。

なお、一般に川中島合戦は第一から第五次までの5回で、永禄7年(1564)が最後とされていますが、近年では永禄10年(1567)8月にも信濃で対峙していたことが、わかったといいます(今福匡『図説 上杉謙信』)。

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