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年齢にとらわれている人へ。海原純子さんの“自分を伸ばす力”「年齢を経たからこそ気づけた自分の中の多様性を大切に」

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ゆうゆう編集部

年齢のとらえ方は人それぞれです。いくつになっても前向きでいられたらいいですね。医師でエッセイスト、さらにはジャズシンガーという肩書きももつ海原純子さん。これまでどのような経験を重ね、それが生き方にどう反映されているのか、お話を伺いました。年齢をネガティブにとらえてしまいがちな人へのアドバイスも紹介します。

多くの人が心理的な鎖に縛られている

「クリニックや大学病院の外来で診察していたとき、受診される方を見ていると、年齢にとらわれている人が多いと感じました。特に女性のほうが年齢に対するこだわりが強いように思いました」 

長年、心療内科医として多くの人の心のケアにあたってきた海原純子さん。自身の経験から、その理由をこう分析する。

「日本では社会的、文化的な影響が大きいと思います。アーノルド・ミンデルさんという心理学者は、『文化にはそれぞれ、気がつかない心理的ゴーストがある』と言っています。ゴースト、つまり幽霊です。目には見えないけれど、縛っている心理的な鎖があるということです。 

日本では『みんなが』という意識がとても強く、そういう意識は親の世代から受け継がれています。化粧品を見れば一様に若さや美白を売りにしているし、『何歳になったらこれをやりなさい』などというタイトルの本がすごく売れるのも、それだけ年齢にとらわれている人が多いということでしょう」

さらに、年齢にとらわれている人にはこんな特徴もある。
「『年齢に負けないようにしよう』という人ほど、不思議なことに老けている気がします。それって結局、年齢のことを考えすぎているから。年齢が1つの心理的な鎖になっているから、『とらわれないようにしよう』と思うわけで、そもそも関係ないと思えば年齢のことなんて気にしないわけですよね。胃痛がするまで胃のことは思い出さないように」

年齢にとらわれたくないと考えれば考えるほど、実は年齢という鎖に縛られていくというパラドックス。では、海原さん自身は年齢とどう向き合っているのだろうか。

「私は、年齢がどうこうということは考えたことがありません。医師の仕事を始めてからは、『引退するまで、現役はみんな一緒』と思っていましたから。医師免許をもった時点で、職業人としては対等。一応、教授は偉いし、先輩は先輩なんですけれど、仕事をするというベースではみんな同僚みたいな感じがあるんです。

だから余計に、年齢にとらわれている人が多いことにびっくりします。こういう取材を受けたり、文書に年齢を書くように言われたりして、改めて数字を見ると、『けっこうすごいな』と思うことはありますけれど(笑)。自分がやっている活動として、年齢の枠に入らなきゃいけないと思ったことは一度もないですね。むしろそういう枠に入っちゃったら何もできなかったなと思っています」

心療内科医として多くの著作があり、講演活動も行う

医師としてはもちろん、心の問題をテーマに執筆や講演の他、ジャズシンガーとして、多方面で活動。それは自分の中にある多様性を尊重し育てているから。

医大に通いながらジャズシンガーに

枠に入ってしまったらできなかったこと……その中には “二足のわらじ”も含まれるだろう。実は海原さん、医師であると同時にジャズシンガーでもあるのだ。歌い始めたのは大学在学中の19歳のとき。

「大学に入ったらジャズ好きの人が多くて、私も感化されました。音楽教室でジャズピアノを習い始めましたが、私にはピアノの才能がないと気がついて。そんなとき、音楽教室で『新宿のクラブで歌手を募集している』という話を聞いて、いいなと思いました。

その頃、医師だった父の病気が悪化したこともあり、アルバイトにもなると思いました。急いで2曲くらい覚えて、オーディションで歌ったら『いいですよ。来週から来てください』と。そんな感じで歌い始めました」

当時は若者に対して寛容な社会であり、音楽が今よりも娯楽として根づいていた時代だった。昼は医大に通い、夜はクラブで歌っていた。そして25歳で、フジテレビ系の昼ドラマ「華うるし」の主題歌を歌ってメジャーデビューも果たしたのだが……。

「私はまだ駆け出しの医師でしたから、医師とシンガーの両立は患者さんに嫌がられるだろうと思いました。もし自分が患者だったら『この人、大丈夫?』と感じるだろうから、信用問題としてどうなんだろうと。だからといって趣味で歌を続けるのは違うような気がして。結婚を機に完全に音楽をシャットダウンしました」

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