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中森明菜さんの「少女A」歌唱ストーリー。涙を流した猛反発から堂々と歌い切るまでの軌跡

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濱口英樹

マチュア世代に大人気の中森明菜さん。2017年以来、活動を休止していますが、デビュー40周年を迎えた昨年、SNSで新事務所の設立を告知したことから活動再開への期待が高まっています。折しもデビューから10年間在籍したワーナーミュージックが展開している「全アルバム復刻シリーズ」は好セールスを記録中。これから3回に分けて、明菜さんが時代を象徴するスターへと駆け上がっていく初期3年間にリリースした楽曲に関する、とっておきのエピソードをご紹介します。
(写真提供:ワーナーミュージック・ジャパン)

「今まで公にしていなかった明菜の楽曲制作に関する話がたくさんある。本人とのやり取りも含めて記録として残しておきたい」。

明菜さんの初代ディレクター・島田雄三氏から連絡をいただいたのは2021年11月のことでした。そのご意向を受けて、出版されたのが『オマージュ〈賛歌〉to 中森明菜』(シンコーミュージック・エンタテイメント刊)です。

同書では島田氏以外にも、初期作品の制作に関わった作詞家、作曲家、編曲家、エンジニアの皆さんへのインタビューを敢行。いずれも日本の音楽シーンをリードしてきたレジェンドたちで、今も歌い継がれている作品がいかにして生まれたかが当事者の証言によって明らかにされています。ここからは書籍の内容に基づき、デビュー曲「スローモーション」(1982年5月)から順を追って、ヒット曲誕生の舞台裏をお話しいたしましょう。

デビュー曲『スローモーション』

明菜さんがオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)でスカウトされたのは1981年11月。そこからデビューまでは半年も時間がありませんでした。担当になった島田氏は大急ぎで楽曲の制作に取りかかりますが、ヒットメーカーと言われる作詞家や作曲家は、明菜さんより一足早く、3月から4月にかけてデビューした他のアイドル(今でいう“花の82年組”)のプロジェクトに携わっていたため、ことごとくオファーを断られます。

そんな折、テレビで目にしたのが「夢の途中」を歌うシンガーソングライターの来生たかおさんでした。来生さんは当時、薬師丸ひろ子さんに提供した異名同曲の「セーラー服と機関銃」もヒット中でしたが、その音楽性に惹かれた島田氏は事務所を訪ねて作曲を依頼。程なくして届けられた3曲のうちの1曲が「スローモーション」だったのです。

同曲はアイドルとしては異例ともいえるマイナー調のミディアムバラード。デビュー曲候補はほかにも3曲ありましたが、新人離れした歌唱力を訴求できること、そしてキャピキャピした他のアイドルと差別化を図れることから「スローモーション」が選ばれます。明菜さん自身もお気に入りの楽曲でしたが、レコーディングでは歌のどこにアクセントを置くかで苦戦。それでも見事に歌いこなし、“実力派”の評価を勝ち取ります。

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