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ヤマザキマリさん流 老いと死の向き合い方。「老いはそのまま受け入れてしまったほうがラクなのでは」

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ヤマザキマリ

人の名前が思い出せない、顔は思い出せても、名前が出てこない……そんなことはもう日常茶飯事。自分の老いを意識すると、不安になることがあるかもしれません。そんなときはどうしたらいい? 話題の新刊『CARPE DIEM 今この瞬間を生きて』から、ヤマザキさん流、老いと死の向き合い方をご紹介しましょう。

★前回の記事はこちら★

ヤマザキマリさん「イタリアでは、女性は50代以降になってからが魅力的」という理由は?

ありのままの自分を許す

最近、息子に物忘れの多さを指摘されるようになりました。特に人の名前です。顔は思い出せても名前が出てこない、なんていう話を私と同世代くらいの友人としていると、皆一斉に激しくうなずいていました。必要なものを別の部屋に取りに行って、そこで別な情報が頭に入ってきてしまい、結局最初に取りに行こうと思っていたものとは別なものを持ってきてしまう。これも周りの友人に聞くと「もうそんなの日常茶飯事」とのことでした。私の中でも老化は同世代の友人たちによれば順調に進んでいってるようです。

自らの老いを意識した時、前向きな気持ちで受け入れられる人もいれば、老いていく自分を想像するだけで不安で仕方がなくなる人もいるでしょう。

けれど、私の行動にみられるような老いはそのまま受け入れてしまった方が楽なのではないか、と最近感じることがあります。ありとあらゆる情報が次から次へと頭に流れ込んでくることで、脳がすべてを許容できずに記憶が抜け落ちていくのだとしたら、忘れていく情報はそもそも自分にとってたいして重要ではなかったということになるでしょう。覚えられない人の名前も、結局その程度のご縁だった、ということです。忘れられない人の名前であれば、おそらくその人との出会いが50年前であっても、きっと記憶し続けているでしょう。

認知症というのも、数十年前まで、日本人の寿命が今よりずっと短かった頃はそんなにメジャーなものではなかったはずです。昔の日本映画を見ていると、50歳になった女性がもうすっかり老女の役で出ていて、通りをゆく人から「お婆さん」などと声を掛けられていました。彼女は歯も抜け、ボサボサの白髪。ここまではやりすぎじゃないの⁉︎ と違和感を抱く反面で、100年前の日本であれば全然あり得たことだったでしょう。

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