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ヴィクトリア女王が夫アルバートと過ごした【バッキンガム宮殿】 夫亡き後、女王は喪服で通したという

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鷹橋 忍

アルバートへ自らプロポーズ

女王となったヴィクトリアがアルバートと結婚したのは、1840年2月10日、21歳のときのことです。

アルバートは、ドイツの領邦国の君主ザクセン=コーブルク=ゴータ公の次男です(ドイツ名アルブレヒト)。ヴィクトリアより、3カ月遅い1819年8月26日に生まれました。
アルバートの父親は、ヴィクトリアの母親の実兄なので、ヴィクトリアとアルバートは、「いとこ」にあたります。

ヴィクトリアは1836年に、父と兄とともにロンドンに来訪したアルバートに会っており、そのとき一目で彼に惹かれたようです。
ヴィクトリアは日誌に、「彼は大変な美男子で、大きなブルーの瞳と、美しい鼻と口と、綺麗な歯をもっている。しかも賢くて知的だ」と綴っています。

1839年10月、より魅力を増したアルバートが再びイギリスを訪れると、ヴィクトリアのほうからプロポーズしたといいます。

理想の家族像

ヴィクトリアが居を移したころのバッキンガム宮殿は、居住は可能でしたが、建築的にはまだ完成とは言い難いものでした。
そんなバッキンガム宮殿を、ヴィクトリアとアルバートは、国際的な宮廷へと発展させていきます。

ヴィクトリアとアルバートは、大変に仲の良い夫婦であったといわれ、四男五女の子宝にも恵まれています。
ヴィクトリアの妊娠出産時には、代理を務めるなど、アルバートは妻を献身的に支えました。

アルバートは有能で勤勉であり、当初は外国人であるが故に疎んじていたイギリスの政治家たちも、信頼を寄せるようになりました。
1851年にロンドンで開催された世界初の万国博覧会も、アルバートを総裁に企画・運営されたといいます。

二人の家庭生活は国民から敬愛され、子どもたちに囲まれて幸せそうな二人を描いた絵画は、たくさんの複製が作られ、「中流家庭の理想の家族像」として、多くの家に飾られたといいます(君塚直隆『イギリスの歴史』)。

アルバートの死

幸せな日々は永遠には続きませんでした。

アルバートが1861年12月14日に、42歳でこの世を去ってしまったからです。死因は腸チフスだったとされます。

ヴィクトリアは悲しみのあまり、ワイト島のオズボーン・ハウスやスコットランドのバルモラル城に閉じこもり、バッキンガム宮殿からもロンドンからも遠ざかってしまいました。

やがて、ヴィクトリアは復活し、女王としての職務に打ち込みますが、公式の催事ではときおり紫のドレスなどを纏うことはあっても、基本的には81歳の長寿をまっとうするまで、亡き夫への愛の証のように、喪服で通したといいます。

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