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「どんなときでも、自分らしいハッピーを見つけて、自由に生きていきたい」鳥居ユキさんの道しるべとなった3つの言葉とは?

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ゆうゆう編集部

80歳を超えて、なお第一線で活躍中のファッションデザイナー・鳥居ユキさん。そんな鳥居さんの道しるべとなった3つの言葉について、お話を伺いました。

世界中の美しいものをたくさん見てきた若い日々

鮮やかな色彩、繊細な花模様、かわいらしさと上品さを兼ね備えたデザイン──「YUKI TORII」の洋服は、年齢を問わず多くの女性の心をときめかせる。

「洋服は毎日をハッピーに過ごすためのもの。年齢なんて考えず、自分の好きな服を自由に着ればいいのよ」と話す鳥居ユキさん。80歳を超えてなお第一線で活躍中だ。

鳥居さんの原点は、終戦直後に祖母が開いた御仕立所にある。母がデザインした洋服は大ヒットし、1950年代には銀座に出店。祖母に連れられ頻繁に歌舞伎座に通い、楽屋で着物や帯を見せてもらった。母は、どんなに忙しくても仕事の合間に銀座の画廊に寄ってくれた。美しいものが常に身近にある幼少期だった。

中学を卒業すると、東京・お茶の水の文化学院に入学。院長である西村伊作さんが大正時代に設立した自由な校風で知られる学校に、鳥居さんは3年飛び級で入学した。

「入試は私が描いた絵を見せただけ。伊作先生は『いいよ、うちに来なさい』って。同級生は年上で、おしゃれしてカフェに行っちゃうから、私は院長室で伊作先生とお弁当を食べていたの。先生は不敬罪で投獄された経験があったり、オートバイで世界一周していたり……。世界のすべてを知っている人だったわ」

今も心に残る言葉がある。それは「言葉や知識で自分をつくってはいけない。心が通じるやさしい言葉を使いなさい」というもの。

「難しい言葉で自分を偉そうに見せるのを嫌う人でした。言葉もやさしくてね、ほめることも上手だった」

「心が通じるやさしい言葉を使いなさい」

東京・お茶の水の文化学院院長・西村伊作氏の言葉。
「大正時代に歌人の与謝野晶子らと設立した、国の学校制度にとらわれない独創的な学校で、男女共学。先生は言葉や知識で偉そうに見せることを嫌いました」

西村さんの言葉は、生徒だけに贈られるものではなかった。

「伊作先生は私の母に、『もっともっとと望むから心が疲れる』と言ったそうです。子どもに望みをかけすぎると、お互いに苦しくなるよ、と」

そのせいか、母からデザイナーになれと言われたことはなかった。代わりに「世界中の美しいものを全部見てきなさい」と、19歳の鳥居さんをはじめて、ヨーロッパ、アメリカを周るよう送り出してくれた。

「南回りで30時間かけてその後も一人旅。ガタガタ揺れる飛行機は怖くてね。パリでは『ELLE』誌の編集長の家にホームステイさせてもらったの。彼女が自分でミニクーパーを運転して、あちこち連れていってくれたのは、パリの路地裏や小さな中庭。古い教会のステンドグラスを指さして『サ・セ・パリ(これがパリ)』って。本当の贅沢とは何かを教わりました」

「もっともっとと望むから心が疲れる」

西村伊作氏が鳥居さんの母に言った言葉で、子どもに多くを望むのはやめなさい、という意味。
「私も娘に『もっともっと』と言いたくなると、この言葉を思い出して『どうぞどうぞ』と言っています(笑)」

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