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「手術から目覚めたら『お母さん』と『わかんない』しか言えなくなっていた」清水ちなみさんが病気を経て、今思うこととは?

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ゆうゆう編集部

超多忙な毎日のなか、脳梗塞を発症し、失語症となったコラムニストの清水ちなみさん。それから約14年が経ち、清水さんが選ぶ3つの珠玉の言葉とは?

脳梗塞で左脳の4分の1が壊死。赤ちゃんのような状態に

『週刊文春』の連載「おじさん改造講座」が大評判となった後、清水ちなみさんはコラムニストとして活躍。「おじさん改造講座」はドラマ、アニメに、著書の『大失恋。』は映画になった。

「月40本以上もの締め切りを抱え、本も100冊以上書き、短い睡眠時間で超多忙な毎日。結婚し、33歳で出産しても仕事をセーブしなかったので、睡眠時間はさらに減りました」

38歳で二人目を産んだ後、体はSOSを発する。血圧が200を超えたのだ。ところが清水さんは、それをSOSと捉えなかった。

「血圧を薬で下げるのはイヤだったので、代替医療を試していました」

だが血圧はいっこうに下がらず、2009年11月、家族とテレビでサッカーを見ているとき、頭の中が破裂したような痛みを覚える。破裂動脈瘤によるくも膜下出血だった。

「雷に打たれたような激しい頭痛、出産の3倍くらいの痛みでした」

大学病院の脳神経外科で「すぐ開頭手術をしないと命に関わる」と宣告され、手術室に運ばれる緊急事態。ところが清水さん、「手術はイヤ」と言い、その意思を尊重した夫が手術の同意書にサインをせず、家に帰ったというのだ。

「今思えば、私は大バカ者でしたね。動脈瘤が破裂した場合の致死率は8割以上。医者嫌い、薬嫌いは自分自身を生命の危機にさらしていたのですから」

数日後、旧知の医師に説得されて手術を受けることを決心。くも膜下出血の手術は成功したが、脳の別の血管が脳梗塞を起こしてしまう。左脳の4分の1が壊死。言語と右半身の機能に大きな障害が残った。

「丸3日間、集中治療室で眠り続けて。4日目の朝、目覚めた私の口から出る言葉は『お母さん』と『わかんない』の二つだけでした。自分が自分であることはわかる。でも自分の名前も数字も時間も言葉も、常識もわからない。少し前まで子育てしながら大量の原稿を書いていたのに、ほとんど赤ちゃんのような状態になっていました」

手術前後の様子は清水さんの夫により、カセットテープや日記に記録されている。夫が「これは誰?」と自分を指してたずねると、「お母さん」と答える清水さん。それでも不思議なことに話がはずみ、二人でゲラゲラ笑っていたという。

失語症となった清水さんの口から出た言葉は、なぜ「お母さん」だったのだろうか。

「自分の母親でも自分自身でも、世の中のお母さんたちでもないんです。世界のすべての大本のような存在が、この『お母さん』なんです」

病気をしたからこそわかったことの一つ、と清水さんは言う。

「『お母さん』がいるから世界が成り立っている。『お母さん』ってすごい、って思ったんです」

清水さんの言う「お母さん」は地母神のような存在だろうか。

「私の中の核のような部分にも『お母さん』はいて、困ってもお母さんがいるから何とかなる、と思える。そんな存在です」

「『お母さん』って、すごい」

失語症となった清水さんの口から出た言葉の一つが「お母さん」。世界のすべての大本のような存在であり、幸せの源でもあり、「お母さん」がいるから世界が成り立っている。病気を経てそう感じるように。

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