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中森明菜さんデビュー2年目のストーリー。「不良1/2」だったタイトルは「1/2の神話」に変更された

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濱口英樹

新事務所による新しいファンクラブが設立され、活動再開への期待が高まる中森明菜さん。昨年、NHK総合で放送された1989年のライブ映像が劇場公開されるなど、ブームは過熱する一方です。明菜さんが時代を象徴するスターへと駆け上がっていく初期3年間に関する本コラム、第2回はデビュー2年目の1983年にリリースされた楽曲にまつわるエピソードをご紹介します。(写真提供:ワーナーミュージック・ジャパン)

★第1回はこちら★

中森明菜さんの「少女A」歌唱ストーリー。涙を流した猛反発から堂々と歌い切るまでの軌跡

「不良1/2」だったタイトルが「1/2の神話」に

ロマンティックなバラード曲「セカンド・ラブ」(1982年11月)がヒットチャートの1位を独走するなか迎えた1983年。明菜さんの初代ディレクター・島田雄三氏は次のシングルとして「1/2の神話」(1983年2月)を制作します。前作とは180度異なる、疾走感のあるロックチューン。出世作となった「少女A」(1982年7月)に連なるツッパリ路線の楽曲です。

初期の明菜さんは対照的なタイプのシングルを交互にリリースしていましたが、それは島田氏の狙いでもありました。彼女との会話から少女の優しさと強さ、両面を感じ取ったことから、音楽でその二面性を打ち出そうとしたわけです。新人離れした歌唱力と表現力を備えた明菜さんだからこそ可能だった戦略と言えるでしょう。

「今度は攻撃的な楽曲で、強めの明菜を打ち出したい」

そう考えた島田氏は作詞家の売野雅勇さんから推薦された大澤誉志幸さんに作曲を依頼します。のちにシンガーソングライターとしてヒットを連発する大澤さんですが、当時はソロデビュー前の新進ミュージシャン。「少女A」もそうでしたが、明菜プロジェクトは作家の知名度や実績よりも、コンセプトに合う作品を求めていたのです。

明菜さんの歌はほとんどが曲先(先にできたメロディにあとから詞をはめる方法)で制作されており、このときも大澤さんのメロディに売野さんが詞を乗せます。「それでもまだ 私悪くいうの いいかげんにして」の決め台詞が印象的な本作は、その一方で主人公のナイーヴな内面も描写。「少女A」の世界観に抵抗を示した明菜さんへの配慮だったのでしょう。当初「不良1/2」だったタイトルも「1/2の神話」に変更されました。

こうして完成した「1/2の神話」はオリコンで6週連続の1位を獲得。明菜さんは「ブレイクした翌年は苦戦する」という“2年目のジンクス”を吹き飛ばします。4カ月に1枚のペースでリリースしていたアルバムも50~60万枚の連続ヒットを記録。2年先輩の松田聖子さんと並ぶトップアイドルの座を確立します。

「トワイライト-夕暮れ便り-」で一服

「そろそろ一息入れて、流れを変えたい」

デビュー以来、ハイペースで制作を続けていた島田氏はやがてそう考えるに至ります。但し、初期の二面性路線に代わる明確なコンセプトが設定されるのはもう少し先のこと。5作目のシングルは「スローモーション」(1982年5月)や「セカンド・ラブ」を手がけた来生えつこさん(作詞)・たかおさん(作曲)の姉弟コンビにみたび委ねられました。それが「トワイライト-夕暮れ便り-」(1983年6月)です。

「絵画的で、日本的で、聴いていてホッとする穏やかな楽曲」。島田氏がそう語る「トワイライト」は情景が浮かぶ壮大なサビから始まるミディアムバラード。切々と歌い上げる明菜さんのボーカルが聴く者の心を捉えますが、当初はピアノとギターだけで聴かせる構想もあったといいます。結果として、初期バラード路線の最終作に位置付けられることになりましたが、実は第2期の可能性を探るなかで誕生した1曲だったのです。

前例に囚われず、リスクや失敗を恐れない――。明菜プロジェクトが一貫して採った方針でした。アイドルらしいキャピキャピした曲でデビューしなかったこと、バラードとロックを交互に展開したこと、作家を固定しなかったこと。すべてが新人としては異例の取り組みで、その成功は多くのフォロワーを生み出しますが、誰も本家に及ばなかったのは皆さんご承知の通りです。

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