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瞳みのるさんが忘れられない「食」。「ザ・タイガース最後の晩餐は有楽町のちゃんこ屋。内田裕也さんが開いてくれた食事会でした」

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藤岡眞澄

飯倉片町キャンティの「スパゲッティ・バジリコ」

ザ・タイガースの人気がまたたく間に爆発してからの生活はあまりにあわただしく、1日2~3食が「楽屋めし」「楽屋弁当」といっても過言ではありません。甘すぎたり、辛すぎたり、味が“過ぎている”うえに油っこい。早々に食べる気が失せていきました。

仕事が終わるとメンバーはバラバラに家に帰るんですけれど、ぼくは一人で飯倉片町の「CHIANTI(キャンティ)」に食事に行くことが多かったです。キャンティは日本に本格的なイタリア料理を広めた店で、何を食べても旨かった。20歳そこそこのぼくには贅沢な店でしたが、京都で“おいしいもの”を食べて育ったぼくは、旨いものしか食べたくない、一食たりともおろそかにはしたくなかった。

特に、疲れて食欲がないときに注文したお気に入りが「スパゲッティ・バジリコ」です。いまでこそフレッシュのバジルは簡単に手に入りますが、当時、バジリコのスパゲッティは珍しかった。タイガース解散後、自炊するようになってからいまも、バジリコベースのスパゲティはぼくの得意料理になっています。

デビューから4年足らずの1971年1月24日。ザ・タイガースは日本武道館でラストコンサートを行い、解散しました。

ライブ後、デビュー前からお世話になった内田裕也さんが有楽町のガード下にあった「双葉」というちゃんこ料理屋で開いてくれた慰労の食事会。二度とステージに上がるまい、と心に決めていたぼくは、家財道具一式を積んだトラックをガード脇に待たせ、食事を済ませると同時にトラックに乗り込み、京都に帰りました。
それが、ザ・タイガース“最後の晩餐”となりました。

PROFILE
瞳みのる
ひとみ・みのる●1946年、京都府生まれ。ザ・タイガースのドラマーとして67年にデビュー。71年のグループ解散後は、高校復学を経て慶應義塾大学文学部中国文学科へ。修士課程へ進み、教員免許を取得する。その後、慶應義塾高等学校教諭として中国語・漢文を担当し、2010年に退職。11年からはミュージシャンとしての活動を再開し、瞳みのる&二十二世紀バンドなどで精力的に活動中。
オフィシャルサイト

瞳みのるさんが、グループサウンズの聖地、日劇に甦ります!

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2023年9月23日(土・祝)
会場:I'M A SHOW(アイマショウ)
有楽町マリオン別館
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次回は、ザ・タイガース解散後の「食」について語っていただきます。

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