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【どうする家康】「岡崎殿」と称され再婚しなかった五徳(久保史緒里)は、信康(細田佳央太)に心を残していたのか

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

【どうする家康】「岡崎殿」と称され再婚しなかった五徳(久保史緒里)は、信康(細田佳央太)に心を残していたのか

「どうする家康」第25回より(C)NHK

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【どうする家康】穴山梅雪(田辺誠一)の訴え「なりませぬ、人心が離れます」を退ける武田勝頼(眞栄田郷敦)の末路は

大河ドラマ『どうする家康』第25回「はるかに遠い夢」では、家康の努力も空しく、有村架純さん演じる瀬名(築山殿)と、細田佳央太さん演じる松平信康の自害という結果で終わりました。

築山殿の享年は不明ですが、数えで38か40くらいと推測され(黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』)、信康の享年は21でした。

二人の死には、正妻と嫡男を救うことのできなかった家康はもちろん、多くの人々が悲しみに包まれていましたね。
そのなかでも信康の妻・久保史緒里さん演じる五徳は、一段と深い悲しみに陥ったのではないでしょうか。
残された二人の幼い子どもたちの行く末も気になります。

そこで今回は、五徳と残された子どもたちのその後を、ご紹介したいと思います。
五徳とその子どもたちは、瀬名や信康の死後、どうなったのでしょうか。

まずは、子どもたちからみていきましょう。

信康と五徳の娘たち

徳川家で養育された?

信康と五徳は、二人とも永禄2年(1559)生まれといわれます。
ですので、信康が自害した天正7年(1579)9月、五徳も21歳でした。

信康と五徳の間には、天正4年(1576)に長女の福姫(登久姫)が、翌天正5年(1577)に次女の久仁(熊姫)が誕生しています。

この二人の姉妹は、徳川家で養育されたと思われます(『論集 戦国大名と国衆20 織田氏一門』所収 渡辺江美子「織田信長の息女について」)。

次女は本多忠勝の嫡男に嫁ぐ

長女の福姫はムロツヨシさん演じる秀吉の仲介で、のちに松本城の城主となる信濃の名族・小笠原秀政の妻となります。
福姫と小笠原秀政との間には、六男二女が誕生したとされます。

次女の久仁は、家康の命で山田裕貴さん演じる本多忠勝の嫡男・本多忠政に嫁ぎます。
久仁は本多忠政との間に、三男二女を産んだとされます。

長男の本多忠刻は、豊臣秀頼(秀吉の子)の妻・千姫(二代将軍・徳川秀忠の長女)の再縁相手となったことで知られます。

福姫は慶長12年(1607)に32歳で、久仁は寛永3年(1626)50歳で亡くなりました。
二人とも母の五徳よりも、早く死を迎えています。

次は、その五徳をみていきましょう。

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