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【どうする家康】その後、千姫が再婚した相手は?秀頼の祟りというのは本当か

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれてきたのでしょうか。ついに最終回を迎えました。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきました。

【どうする家康】その後、千姫が再婚した相手は?秀頼の祟りというのは本当か

「どうする家康」第48回より(C)NHK

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大河ドラマ『どうする家康』も、ついに最終回「神の君へ」を迎えました。

豊臣の壮絶な滅亡に際して、夫で従兄弟の豊臣秀頼や、義母で伯母の茶々を救うため、祖父・家康に必死で懇願する千姫の姿が、印象に残った方も多いのではないでしょうか。

今回は、その原菜乃華さんが演じた千姫を、取り上げたいと思います。
千姫はその後、どうなったのでしょうか。

19歳で夫と義母を失う

慶長20年(1615)5月7日、大坂城は落城し、翌5月8日、作間龍斗さんが演じた豊臣秀頼と、北川景子さんが二役で演じた茶々が自害しました。享年は、秀頼23、茶々は47でした。

千姫は、落城間近の大坂城から脱出し、秀頼と茶々の助命を請いましたが、ドラマでも描かれたように、森崎ウィンさんが演じた父・徳川秀忠の判断で、却下されました。

このとき千姫は数えで19歳。秀頼や茶々らの死に大変なショックを受け、床に伏したといいます(北川央『大坂城をめぐる人々』)。

再婚相手は本多忠勝の孫

その後、千姫は伏見城に入ったのち、江戸に向かい、同年8月22日に到着しています(「元和年録」『大日本史料 第十二編之十九』所収)。

翌元和2年(1616)になると、千姫は再び嫁ぐことになります。

嫁ぐ相手は本多忠刻といい、山田裕貴さんが演じた本多忠勝の孫です。
忠刻は慶長元年(1596)生まれで、千姫より一つ年上でした。

忠刻の生母である熊姫は、細田佳央太さんが演じた松平信康(家康の長男)と久保史緒里さんが演じた五徳(信長の娘)の二女です。

つまり熊姫も、千姫と同じく家康の孫にあたります。

姫路城へ

結婚当初、千姫と忠刻は伊勢国桑名(三重県桑名市)で暮らしたと思われます。

ですが、翌元和3年(1617)7月、忠刻の父・本多忠政(本多忠勝の子)が播磨国姫路十五万石に転封となると、忠刻も播磨国に十万石を賜わり、忠政の居城である姫路城に移り住みました(『寛政重修諸家譜』)。

千姫と忠刻との間には、元和4年(1618)に長女・勝姫と、翌元和5年(1619)年に嫡子の幸千代が誕生しました。

千姫は姫路城で、幸せな日々を送っていたのではないでしょうか。

ところが、幸千代は元和7年(1621)に、僅か3歳で夭逝してしまいます。
そして、千姫も流産するという、不幸が続きました。

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