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俳優・大谷亮平さんが語る「守りたいものは家族。 強くあるために 余裕やゆとりのある人でいたい」

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ゆうゆう編集部

約12年間、韓国の芸能界で活躍した後、2016年に日本で俳優デビュー。瞬く間にブレイクし、ドラマ、映画、舞台と活躍の場を広げてきた大谷亮平さん。その異色の経歴から最新の出演ミュージカルにかける思いまで、たっぷり語っていただきました。

大学まではバレー一筋。その後モデル、俳優の道へ

ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」「ノーサイド・ゲーム」、映画『焼肉ドラゴン』『ゴールデンカムイ』など、数々の作品に出演し、幅広い役柄に挑んできた大谷亮平さん。実は日本での俳優デビューは2016年、わずか8年ほど前のことだ。

生まれ育ったのは大阪。小学生のときにバレーボールを始めると才能が開花。高校バレーの強豪校、大阪・清風高校バレーボール部に所属し、その後は大学でも競技を続けた。

「でも、自分はプロの世界では無理だなと思いバレーボールを断念。上京してモデルの仕事を始めました」

数カ月が経った頃、韓国の「ダンキンドーナツ」のCM出演をきっかけに、韓国へ拠点を移すことに。

「その頃、韓国ドラマへの出演オファーをいただきました。その役柄は僕自身。リョウヘイという名前で、日本から来たモデルの役を当て書き(演じる俳優に合わせて脚本を書く)してくださったんです。俳優という仕事に興味もあったので、韓国で俳優業をスタートしました」

初めての韓国暮らし。立ちはだかったのは言葉の壁だった。

「最初は韓国語がまったくわからなくて……。語学学校に行ったんですけれど、本当にゼロからのスタート。授業で1人ずつ当てられたときも、僕はどれだけ考えても答えが出てこなくて。これは無理だなと思い、とにかく街に出て、ひたすら聞く・話すを繰り返しました。そうしたらある瞬間からすごく理解できるようになったのです」

韓国で約12年活動し、帰国。16年から日本での俳優活動をスタートした。18年にはNHK連続テレビ小説「まんぷく」に出演。

「『まんぷく』は僕のターニングポイントになった作品。半年以上大阪で生活して、撮影が終わったらよく飲みにも行って。キャストが多いし、密にいろいろな話し合いをしながら演じることができました」

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