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【どうする家康】泣きながら退去を拒んだという、お市の方(北川景子)が詠んだ辞世の和歌とは?

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

【どうする家康】泣きながら退去を拒んだという、お市の方(北川景子)が詠んだ辞世の和歌とは?

「どうする家康」第30回より(C)NHK

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【どうする家康】伊賀越えの前、家康は信長のあとを追うつもりだった?「知恩院で、追腹する」という発言

大河ドラマ『どうする家康』第30回「新たなる覇者」では、ムロツヨシさん演じる羽柴秀吉によって、吉原光夫さんが演じる柴田勝家および、北川景子さん演じるお市の方が、滅ぼされました。

最後まで誇り高く、凛としたお市の方の姿は、視聴者の心に焼き付いたのではないでしょうか。

そこで今回は、「天下一の美人」と称され、戦国時代の女性のなかでも屈指の知名度を誇る、お市の方を取り上げたいと思います。

信長より16歳年下?

お市の方は、通説では天文16年(1547)生まれとされていますが、確かではありません。

大河ドラマ『真田丸』の時代考証を務めた黒田基樹氏は、結婚と子どもの出産年齢から推定して、天文19年(1550)頃の生まれの可能性が高いとしています(黒田基樹『お市の方の生涯 「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』)。

天文19年生まれだとすると、兄・織田信長より16歳年下ということになります。

父親は藤岡弘さんが演じた織田信秀。母親は不詳です。

信長と同母だったともいわれますが、定かではありません。

浅井長政との結婚

成長したお市は、ドラマでも描かれたように、大貫勇輔さんが演じた北近江の浅井長政に嫁ぎます。

浅井長政との間には、茶々(淀殿)、お初(常高院)、お江(崇源院)の有名な三姉妹を授かります。

夫・長政の死後、お市たちはどこに身を寄せた?

元亀元年(1570)4月、長政は信長に反旗を翻しますが、天正元年(1573)9月、信長勢の総攻撃を受け、浅井家本拠の小谷城が落城。

長政は自害し、浅井家は滅亡しました。

お市と三人の娘たちは小谷城から退去し、織田家に引き取られました。

その後は、諸説ありますが、織田家の庇護下にあったのは確かだと思われるといいます(和田裕弘『柴田勝家 織田軍の「総司令官」』)。

天正10年(1582)6月2日、本能寺の変が勃発し、酒向芳さんが演じた明智光秀によって信長と信長の嫡男・織田信忠が討たれ、その光秀も秀吉に滅ばされると、お市の運命は大きく変わります。

柴田勝家と再婚

同年の6月27日、清須城(愛知県清須市)において、柴田勝家、羽柴秀吉、福澤朗さんが丹羽長秀、徳重聡さんが演じる池田恒興の宿老四人によって、信長亡き後の政権の運営と所領の配分が話し合われました。
いわゆる「清須会議」です。

この清須会議で、お市と宿老の筆頭であった柴田勝家の結婚が、取り決められたと考えられています(黒田基樹『お市の方の生涯』)。

具合的な日付はわかっていませんが、同年の9月頃、お市は勝家に再家し、三人の娘を伴って、勝家の本拠である北庄城(福井県福井市)に入ったようです。

ですが、お市の勝家の妻としての生活は、長くは続きませんでした。

勝家は秀吉と対立し、翌天正11年4月21日、「賤ヶ岳(滋賀県長浜市)の戦い」で、勝家は秀吉に大敗。北庄城へと敗走します。

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