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【どうする家康】本多忠勝(山田裕貴)が戦場でかすり傷ひとつ負わなかったのは本当か

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鷹橋 忍

徳川家康というと、どういうイメージをもっていますか? 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな家康が描かれるのでしょうか。戦国武将や城、水軍などに詳しい作家 鷹橋 忍さんに、知られざる徳川家康の姿や時代背景などについてひも解いていただきましょう。

【どうする家康】本多忠勝(山田裕貴)が戦場でかすり傷ひとつ負わなかったのは本当か

「どうする家康」第32回より(C)NHK

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大河ドラマ『どうする家康』第32回「小牧長久手の激闘」では、小牧・長久手の戦いが描かれ、いわゆる「徳川四天王」が活躍しました。

そこで今回は、徳川四天王のうち、山田裕貴さん演じる本多忠勝と、杉野遥亮さん演じる榊原康政の二人を取り上げたいと思います。

まずは本多忠勝からみていきましょう。

本多忠勝

2歳のときに父が戦死

本多忠勝は、天文17年(1548)に、現在の愛知県岡崎市西蔵前町で生まれました。家康より6歳年下となります。
ドラマで一緒に登場することの多い榊原康政と同じ年です。

本多家は代々松平(徳川)家に仕える家柄で、忠勝の祖父・本多忠豊、父の本多忠高と、二代にわたって、戦死しています。

父が亡くなったとき、忠勝は数えで2歳でした。
父の死後、忠勝は叔父にあたる、波岡一喜さんが演じた本多忠真に引き取られたようです(桑名市博物館『本多忠勝と桑名』)。
叔父・忠誠は家康に仕えており、忠勝も早くから家康に出仕していたといいます。

手柄を譲るやさしい叔父・忠真

ドラマでも、忠勝と叔父の忠真は親しげでしたが、二人の絆を感じさせる逸話が残っています。
それは、忠勝が忠真らとともに、今川勢と長沢城(愛知県豊川市)で戦ったときのことでした。

忠真は敵兵を突き倒すと、忠勝に「首をとれ」と命じました。忠真は甥に、手柄を譲ろうとしたのです。

ところが、忠勝は、「他人の力を借りて、功を立てても意味はない」と拒否しました。
そして、敵陣に突入し、自ら敵を討ち取ったと伝わります。

一度も戦場で傷を負わなかった?

忠勝の初陣は、永禄3年(1560)5月、桶狭間の合戦に際しての家康の大高城(愛知県名古屋市)への兵糧入れだとみられています。

以後、三河一揆、姉川の戦い、三方原の戦い、小牧・長久手の戦いなど、数々の戦場を駆け抜けていきます。
その武勇は、武田軍からも、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(高価な兜の飾り)と本多平八」と称えられました。

忠勝は慶長5年(1600)の「関ケ原の戦い」まで、約50回も出陣しましたが、戦場でかすり傷一つ負わなかったと伝わります。

ドラマでも、忠勝本人がよくそう口にしていますね。
忠勝の活躍はまだまだ続きます。

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